2022年、NCAAの偉大なコーチの伝説が幕を閉じます。
これからこの伝説が語り継がれていくのかもしれません。
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マイケル・ウィリアム・シャシェフスキー
アメリカ合衆国出身のデューク大学男子バスケットボールチーム監督。同大学のバスケットボール部を四半世紀にわたって率い、NCAA男子バスケットボールトーナメントで歴代最多の勝利数と5度の優勝経験を持つ。2001年にバスケットボール殿堂入り。シカゴ生まれ。ニックネームは”Coach K“。
改めまして、長いコーチキャリアお疲れさまでした。
と言わせてください。彼が残した多くの功績は素晴らしいものです。
僕が学生時代からDUKEは常に常勝チームでした。
沖縄の6チャンネルでは、毎年3月に放映される
「マーチマッドネス」が楽しみで仕方なかったです!
そこを率いていたのが、コーチK。
遠く離れた沖縄の小さかった僕を虜にしていました!
全米に留まらず、全世界で影響力を与えた偉大なるコーチ
その様子がわかるのが、この動画↓
This Coach K tribute piece is special 🙏
(via @MarchMadnessMBB) pic.twitter.com/5DEKHZ4jFA
— Bleacher Report (@BleacherReport) April 2, 2022
NCAAトーナメント優勝×5
ファイナル4×13
オリンピック金メダル (HC)×3(2006-2016)
通算1,202勝361敗(勝率76.4%)
NCAA史上最多勝記録。
カイリー、テイタム、ザイオン、グラントヒル、、
キャリア47年のコーチKが輩出してきた選手は数知れず。
これだけの素晴らしい実績を残したコーチだったのですね。
山城さんはコーチKの事をどうみていましたか?
コーチKの素晴らしいところは、幾つかあると思っています。
やはり選手を次のステップ、ステージへ導ける存在であることです。その点でコーチKは多くのNBA選手を輩出してきましたし、NBAに行けなかった選手も含めて、すべての選手にファミリー(家族)のように接していたと聞いています。
アメリカ代表として活躍した選手達も彼のことをメンターとしているところもそういった人間性がそうさせていると思っています。
Are YOU willing to be coached HARD?
コーチKがジェイソン・テイタムについて現選手の前で伝えたこと
「彼は素晴らしい選手である前に、常に厳しくコーチされることを望んでいた。上手くなりたいと思ってるからね。
だからこそ、今もNBAでスターなんだよ。」
リツイート👇
pic.twitter.com/zDXAKj9oM6— Miki “Micky” Takei (@MickyTakei) February 13, 2022
Congratulations to a mentor and friend, Coach Mike Krzyzewski, on an incredible career. I learned so much about coaching and the game under your guidance. Your legacy will live on through those you taught. Enjoy retirement! pic.twitter.com/fnZL7ClZDf
— Jason Kidd (@RealJasonKidd) April 4, 2022
(2008年北京オリンピック)
「コーチ、お願いがある。相手チームのベストペリメータープレーヤーを抑えたいんだ。」
そう言ってきたときのコービーの目は、マイケルジョーダンと同じだった。
そしてこうも言われたよ。
「コーチ、俺が相手を完膚なきまでにやっつせて見せるよ。約束する。」とね。 pic.twitter.com/RjsGsDVoVv— NBA選手の心に響く言葉 (@hibiku_nba) April 4, 2022
なぜ、アメリカ代表の監督はNBAからではなく、NCAAの大学の監督が行っていたのでしょうか?
NBAのオールスター級の選手を大会直前に集めて戦うスタイルでは、急速に世界のバスケットのレベルが上がってきている中では難しくなってきている時期が2000年以降に訪れています。
詳しくは、佐良土 茂樹さんの研究論部で読んでみてください。
優秀なコーチとは、「多くの中から最適なものを選択する能力がコーチの優劣を決める」だと僕は定義しています。
彼は選手の特性を理解し、アメリカ代表の力を十分に発揮させることに長けていた点や、世界の国々のバスケットスタイルを把握し、あらゆる対策を講じることができていたので、NBAの選手、スタッフから絶大なる信頼を勝ち取っていたからこそ、彼のコーチとしての言動や行動、影響力が適任だったのだと思います。
自分の立てる練習計画は、そのときのチームの状態を見極めたうえでそれに適合したものでなければなりません。そして、いついかなるときでも柔軟であることを心がけなければなりません。そうすれば、チームは今まで以上に強くなるでしょう。
『コーチKのバスケットボール勝利哲学』21頁
— コーチK (@GOLDSTANDARDjp) March 30, 2022
余談にはなりますが、2018年のキングスU15が発足した時期に、沖縄県バスケットボール協会とタッグを組んで、U16国体に向けた育成強化にも取り組みました。優秀な選手達が沖縄県に残りながらも県代表としてのプライドを持って戦ってくれました。自チーム、選抜チーム、県の育成強化のレベルアップと多岐に渡る業務の中でも、著書として参考にしていた一つが、コーチKの「ゴールドスタンダード」でした。
その後の自身のコーチング哲学も確立していけるようなったきっかけでもあります。
より多くの選手を輩出し、アメリカ代表での功績も素晴らしいですね。そんなコーチKが率いてきたチームの中で、
「山城さんが好きなシーズンや選手はありますか?」
個人的に好きなシーズンは1999-2002の3シーズンです。
当時のスタメンがNBAにドラフトで行きましたし、何より強くて、カッコよかった。印象に残っている試合は、メリーランド大に後半1分10点差で負けていてたが、一気に追い上げて、大逆転勝利!
その試合は何度もビデオテープが擦り切れるくらい見返しましたし、僕の高校・大学・プロ、コーチになってからも負けそうな試合であきらめずに奮起できたのは、あの逆転勝利がイメージになっていたと思います。
その時に在籍していたポイントガードが
”ジェイソン・ウィリアムス”
NBAで大活躍したあの方ではありませんが、田臥勇太選手が高校時代に世界選抜として出場した試合で、全米ナンバーワンガードとしてスタメンで出場していました。
僕が近畿大学時に、22番を選んだのは「彼のようになりたい!」という思いもありました。
ジェイソン・ウィリアムス(NBAではジェイ・ウィリアムスに名前を変更。)
高校卒業後はバスケットボールの名門デューク大学へ入学。2001年シーズンにはカルロス・ブーザー、シェーン・バティエ、マイク・ダンリービー・ジュニア、クリス・デューホンらと共にNCAAトーナメントを制覇。在学中にはネイスミス賞を始め、数々の賞を受賞する。
2002年のNBAドラフトにおいて姚明に続き、シカゴ・ブルズより全体2位指名を受けてNBA入りした。当時、”ジェイソン・ウィリアムス” (ジェイソン・ウィリアムスとジェイソン・ウィリアムス)という同姓同名選手がリーグに2人いた事から、混同を避ける為、登録名を【ジェイ・ウィリアムス】とした。しかし1年目は平均9.5得点、4.7アシスト、2.6リバウンドと期待外れの成績に終わり、そのオフシーズンにバイク事故で大怪我を負い、結果ブルズに契約を解除された[1]。
当時は現在ほどインターネットは発達していなくて、情報も少ない時代でした。そんな中でも6チャンネルや田臥選手の世界にチャレンジしている姿を見たり、DUKE大の活躍から自分自身の現在地を否が応でも認識するには十分だったんですが、当時の15歳の自分が夢見る世界は大きくて、遠い雲の上の存在でした。
選手目線、コーチ目線と時を経て、コーチKが僕たちに与えた影響は偉大です。
「己の下手さを知りて一歩目」
今日が人生で一番若い日!頑張っていきましょう!
近畿大学のコーチK(かむろ しょうしん)は、まだまだ健在です!
「沖縄に移住するー」が口癖です。笑
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